エヴァのTV版を全部見たけど、最終回が意味不明。
難解な内容だったよね。
TV版エヴァンゲリオンの最終回は碇シンジの人類補完の内容が描かれています。
1回見ただけでは内容がわからないと思いますので、今回、わかりやすく解説したいと思います。
TV版エヴァンゲリオンの最終回のあらすじ
全ての使徒を倒したことで、人類補完計画が発動します。
人類補完計画とは、人々には心の中に欠けているところがあり、それを一つになって補い合うことです。
他人との関わり合いを拒絶してきたシンジですが、人類補完計画の中で、他人との関わり合いが自分を作っているということに気がつきます。
自分や現実を嫌なものだと考えていたのは自分自身の思い込みで、世の中をどう捉えるかは自分次第なのだということがわかり、嫌いだった自分を受け入れられるようになります。
晴れ晴れとしたシンジの周りを、エヴァンゲリオンに登場した様々なキャラクターが取り囲み、「おめでとう」と拍手をします。
シンジはそれに「ありがとう」と笑顔で答え、エヴァンゲリオンは終わります。
自分しかいない世界
エヴァ最終回の中で、シンジが何もない真っ白な空間の中でいるシーンがあります。
何もない世界でシンジは、どうしたらいいかわからないと言って混乱してしまいます。
そこで足元に一本の線を引くと、地面ができてシンジは安心します。
再び何もない世界に戻ると、シンジは自分の体さえ形成できなくなります。
つまり人間は、自分しかいない世界では自分自身を認識できないということに、シンジは気づきます。
人間は、自分と他人を比較することで、自分を知ることができるのです。
学園生活シーン
さらにシンジが思い描く、理想の学園生活シーンがあります。
この世界ではアスカは幼馴染であり、毎日シンジ君のことを起こしに来てくれます。
お母さんも生きていて、夫婦仲も良好です。そんな中で、やたら明るい性格の綾波レイが転校してきます。
綾波が遅刻しそうになり、パンをくわえたまま、走っています。
ベタですが、曲がり角でシンジとぶつかり、ひと悶着あります。
その後は楽しい学園生活が描かれるのですが、この学園生活が「あり得るかもしれないもう一つの世界」であることにシンジは気づきます。
父親が嫌いで、エヴァに乗るしかない嫌な世界でも、考え方一つで自分の事を好きになれると気づくのです。
そして最後にシンジはこんなセリフは言います。
僕は僕が嫌いだ。でも、好きになれるかもしれない。僕はここにいていいのかもしれない。
そうだ、僕は僕でしかない。僕は僕だ。僕でいたい!僕はここにいたい。僕はここにいてもいいんだ!
碇シンジという人物
人から嫌われることを恐れ、愛されたいと思い、周りからの期待に応えようとする性格
心から笑うわけでもなく、あいそ笑いで他人の顔色をうかがう。
名言「逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ」と後ろ向きのセリフを言う。
命をかけてエヴァンゲリオンに乗って使徒と戦うことが、唯一自分を認めてもらえる行動だと思い込む。
ラスト2話の衝撃
第25話「終わる世界」、最終話「世界の中心でアイを叫んだけもの」は大きな波紋を呼びました。
それまで完成度の高いSFアニメとして進行していたのに、ラスト2話でシンジを中心にしたカウンセリングを思わせる予想外な展開となったことに対してです。
文字とナレーション、静止画、、絵コンテ、細かく字が書き込まれた台本までも映像化されました。こういう技なのかもしれませんが。
使徒や「人類補完計画」の謎は明かされることなく、TVシリーズは完結したのです。
劇場版が公開
多くの伏線が未回収のままであり、視聴者の不満が残った形で終わったTVシリーズ。
それとはとは異なる形の最終話を描いた『Air/まごころを君に』が1997年に公開されます。
TV版エヴァンゲリオンの最終回はハッピーエンド?
ラストのおめでとうの嵐、シンジの笑顔、終わり方としてはハッピーエンドです。
しかし劇場版エヴァンゲリオンを見るとTV版とは違う、ダークで暗いエンディングとなっています。
劇場版はTV版のアンチテーゼとなっているわけです。
劇場版のラストでシンジは、人類補完による「みんなが一つになること」を否定しています。
自らを否定してくれる他者と共存していくという、「あり得るかもしれないもう一つの世界」を描いています。
庵野監督の話
最終回の「おめでとう」は自分の心を補完したシンジに対する祝福だそうです。
またエヴァを見ているオタクに対して、現実に戻れという意味も含まれていたそうです笑。
僕と一緒になろうよぉ
気持ち悪い
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